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御由緒

 御由緒

 

  生石神社御祭神について

 〇生石神社御祭神について〇

 神代の昔、大穴牟遅(おおあなむち)と少毘古那(すくなひこな)の二神が、天津神の命を受けて出雲国より播磨国に来られた時に、二神が相談し国土を鎮めるに相応しい石造りの宮殿を建てようとしました。

 一夜のうちに現在の形まで造ったが、工事半ばで阿賀の神(あがのかみ:播磨の土着の神)の反乱が起こり、宮殿造営を止めて現在の神爪地区に多数の神様を集めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができませんでした。

 しかし二神は、宮殿が未完成でも二神の霊はこの石に籠り、永劫に国土を鎮めんと言明されました。以来この宮殿は石宝殿(いしのほうでん)、鎮の岩室(しずのいわや)と言われるようになりました。

 生石神社では、大穴牟遅命と少毘古那命の二神を御祭神としています。

    〇生石神社の創建について〇

 御肇國(はつくにしらす)天皇と称えられていた第10代崇神天皇の御代に、日本全土に悪疫が流行して人民死滅の危機になりました。ある夜二神が天皇の夢枕に現れ「吾が霊を齋き奉らば天下は泰平なるべし」とのお告げがあったので、此処に生石神社が創建されました。以来悪疫も終息して天下泰平となりました。

◇写真・・・平成29年(紀元2677年)元旦、拝殿より東方(東播磨地方)に向かって初日の出を遙拝す◇